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最高裁判所第二小法廷 昭和41年(オ)1420号 判決 1973年3月02日

上告人およびその訴訟代理人

別紙目録記載のとおり

被上告人

日本国有鉄道

右代表者

磯崎叡

右訴訟代理人

田中治彦

環昌一

外九名

主文

原判決を破棄し、第一審判決中上告人ら敗訴の部分を取り消す。

被上告人は、第一審判決添付債権目録(第一)記載の上告人らに対し、それぞれ同目録(第一)の各「賃金カット額」欄(同目録中「現金カット額」とあるのは「賃金カット額」の誤記と認める)記載の金額から「認容額」欄記載の金額を控除した残額およびこれに対する昭和三七年四月二一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員、同債権目録(第二)記載の上告人らに対し、それぞれ同目録(第二)の各「賃金カット額」欄記載の金員およびこれに対する右同日以降支払済みに至るまで右同利率による金員、の支払をせよ。

訴訟の総費用は、全部被上告人の負担とする。

理由

上告代理人大野正男、同斎藤忠昭、同青木正芳の上告理由について。

論旨は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ)が、労働基準法(以下、労基法という)三九条の年次有給休暇制度とストライキの本質とは両立しえない別個の体系に属するものであつて、労働者は争議行為に使用する目的で使用者に対し有給休暇の請求をすることはできない等の理由で、第一審判決添付債権目録(第一)記載の上告人らの本訴請求の半額および同債権目録(第二)記載の上告人らの本訴請求の全部を排斥すべきものとしたのは、年次有給休暇制度の本質、休暇利用自由の原則、事業の正常な運営と時季変更権の意義の諸点において、労基法三九条の解釈適用を誤つた違法がある、と主張する。

よつて按ずるに、労基法三九条一、二項の要件が充足されたときは、当該労働者は法律上当然に右各項所定日数の年次有給休暇の権利を取得し、使用者はこれを与える義務を負うのであるが、この年次休暇権を具体的に行使するにあたつては、同法は、まず労働者において休暇の時季を「請求」すべく、これに対し使用者は、同条三項但書の事由が存する場合には、これを他の時季に変更させることができるものとしている。かくのごとく、労基法は同条三項において「請求」という語を用いているけれども、年次有給休暇の権利は、前述のように、同条一、二項の要件が充足されることによつて法律上当然に労働者に生ずる権利であつて、労働者の請求をまつて始めて生ずるものではなく、また、同条三項にいう「請求」とは、休暇の時季にのみかかる文言であつて、その趣旨は、休暇の時季の「指定」にほかならないものと解すべきである。

また労基法は、同条一項ないし三項において、使用者は労働者に対して有給休暇を「与えなければならない」とし、あるいは二〇日を超えてはこれを「与える」ことを要しない旨を規定するのであるが、有給休暇を「与える」とはいつても、その実際は、労働者自身が休暇をとること(すなわち、就労しないこと)によつて始めて、休暇の付与が実現されることになるのであつて、休暇の付与義務者たる使用者に要求されるのは、労働者がその権利とし有する有給休暇を享受することを妨げてはならないという不作為を基本的内容とする義務にほかならない。

年次有給休暇に関する労基法三九条一項ないし三項の規定については、以上のように解されるのであつて、これに同条一項が年次休暇の分割を認めていることおよび同条三項が休暇の時季の決定を第一次的に労働者の意思にかからしめていることを勘案すると、労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して右の時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時孝変更権の行使をしないかぎり、右の指定によつて年次有給休暇が成立し、当該労働日における就労義務が消滅するものと解するのが相当である。すなわち、これを端的にいえば、休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生するのであつて、年次休暇の成立要件として、労働者による「休暇の請求」や、これに対する使用者の「承認」の観念を容れる余地はないものといわなければならない。

もし、これに反して、労働者の休暇の請求(休暇付与の申込み)に対して使用者の承認を要するものとすれば、けつきよく、労働者は使用者に対して一定の時季における休暇の付与を請求する債権を有し、使用者はこれに対応する休暇付与の債務を負うにとどまることになるのであるが、かくては、使用者が現実に特定日における年次休暇の承認、すなわち、当該労働日における就労義務免除の意思表示をしないかぎり、労働者は現実に休暇をとることができず、使用者に対して休暇付与義務の履行を求めるには、改めて年次休暇の承認を訴求するという迂遠な方法をとらなければならないことになる(罰則をもつてその履行を担保することは、もとより十全ではありえない)のであつて、かかる結果が法の趣旨・目的に副う所以でないことは、多言を要しないところである。

ちなみに、労基法三九条三項は、体暇の時期といわず、休暇の時季という語を用いているが、「時季」という用語がほんらい季節をも念頭においたものであることは、疑いを容れないところであり、この点からすれば、労働者はそれぞれ、各人の有する休暇日数のいかんにかかわらず、一定の季節ないしこれに相当する長さの期間中に纒まつた日数の休暇をとる旨をあらかじめ申し出で、これら多数の申出を合理的に調整したうえで、全体としての計画に従つて年次休暇を有効に消化するというのが、制度として想定されたところということもできるが、他方、同条一項が年次休暇の分割を認め(細分化された休暇のとり方がむしろ慣行となつているといえるのが現状である)、また、同条三項が休暇の時季の決定を第一次的に労働者の意思にかからしめている趣旨を考慮すると、右にいう「時季」とは、季節をも含めた時期を意味するものと解すべく、具体的に始期と終期を特定した休暇の時季指定については、前叙のような効果を認めるのが相当である。

以上のとおり、年次有給休暇の権利は、労基法三九条一、二項の要件の充足により、法律上当然に労働者に生ずるものであつて、その具体的な権利行使にあたつても、年次休暇の成立要件として「使用者の承認」という観念を容れる余地はない(労基法の適用される事業場において、事実上存することのある年次休暇の「承認」または「不承認」が、法律上は、使用者による時季変更権の不行使または行使の意思表示にほかならないことは、原判決説示のとおりである)。年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である、とするのが法の趣旨であると解するのが相当である。

本件において原判決の確定するところによれば、上告人ら所属の事業場たる被上告人(日本国有鉄道)郡山工場において、昭和三七年三月三〇日頃、第一審判決添付債権目録(第一)記載の上告人らは、その有する休暇日数のうち一日分として同月三一日を指定し、同債権目録(第二)記載の上告人らは、同じくその有する休暇日数のうち半日分として右同日の午前半日を指定したが、被上告人郡山工場長は時季変更権を行使しなかつた(その一部については、時季変更権を行使したことについての主張立証がない)、というのである。

これによると、前記債権目録(第一)の上告人らについては、三月三一日の一日分、同債権目録(第二)の上告人らについては、同日午前の半日分の年次休暇が成立したことが明らかである。しかるに、原判決は、上告人らが右同日の勤務時間開始前に、その所属の事業場である被上告人郡山工場以外の場所(宮城県岩沼駅)における集団行動に参加したことが、その参加のためには必要であつた年次休暇の成立を否定する理由となるとするものであつて、その判断は、さきに判示した年次有給休暇の法律関係に照らして、労基法三九条の解釈適用を誤つたものといわなければならず、論旨は、この点において理由がある。

なお、ここに言及を要するのは、論旨も触れるところのいわゆる一斉休暇闘争の場合についてである。いわゆる一斉休暇闘争とは、これを、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するものと解するときは、その実質は、年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならない。したがつて、その形式いかんにかかわらず、本来の年次休暇権の行使ではないのであるから、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえず、一斉休暇の名の下に同盟罷業に入つた労働者の全部について、賃金請求権が発生しないことになるのである。

しかし、以上の見地は、当該労働者の所属する事業場においていわゆる一斉休暇闘争が行なわれた場合についてのみ妥当しうることであり、他の事業場における争議行為等に休暇中の労働者が参加したか否かは、なんら当該年次有給休暇の成否に影響するところはない。けだし、年次有給休暇の権利を取得した労働者が、その有する休暇日数の範囲内で休暇の時季指定をしたときは、使用者による適法な時季変更権の行使がないかぎり、指定された時季に年次休暇が成立するのであり、労基法三九条三項但書にいう「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきであるからである。

本件において原判決の確定するところによれば、前述のように、上告人らは、いずれも問題の当日である昭和三七年三月三一日の一日または半日を休暇の時季として指定したが、被上告人工場長は時季変更権を行使しなかつたというのであつて、この事実に本件にあらわれた諸般の事情を斟酌すれば、優に、上告人らの右時季指定が被上告人郡山工場の事業の正常な運営を妨げるものでなかつたことを知らしめるに足るのである。したがつて、岩沼駅における行動のいかんにより上告人に別個の法律上の責任が生じうるか否かはともかくとして、その事実は、なんら本件年次有給休暇の成否に影響しうるものではない。

以上により、三月三一日の半日分につき上告人らの年次有給休暇の成立を否定した原判決は違法として破棄を免れず、上告人らの本訴請求はその全部を正当として認容すべきであるから、民訴法四〇八条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(村上朝一 岡原昌男 小川信雄)(色川幸太郎は、退官につき署名押印することができない)

上告人およびその訴訟代理人目録

上告人 国分正蔵

外五五名

右上告人五六名訴訟代理人

田邨正義

宮里邦雄

外三三名

右上告人大堀金三郎訴訟代理人

竹沢哲夫

外五名

上告人 浅野一郎

外一三名

右上告人七〇名訴訟代理人

大野正男

斎藤忠昭

青木正芳

上告代理人大野正男、同斎藤忠昭、同青木正芳の上告理由

原判決ならびに第一審判決は、労働基準法三九条の解釈適用を誤り、かつ仙台高裁昭和四一年五月一八日判決(昭和四〇年(ネ)第七六号)に違反する。

原判決は、

一、労基法三九条の有給休暇制度とストライキの本質とは両立しえない別個の体系に属するものであつて、労働者は有給休暇を争議行為に使用する目的で、右休暇の請求をすることはできない。

二、上告人らは、公労法一七条に違反するストライキに参加したから、有給休暇制度の趣旨に違反して、これを違法な争議行為に使用したというべく、有給休暇について被上告人の承認をえていたとしても、被上告人において、これが成立を否定することができる。

旨の二つの理由により、上告人らのした控訴を棄却した。

しかしながら、右理由ならびに第一審判決の理由は、労基法三九条の有給休暇制度の本質、休暇利用自由の原則、事業の正常な運営と時季変更権の意義の諸点において、根本的に法の解釈適用を誤つている。

一、有給休暇制度の本質と時季変更権の機能

原判決はまず、有給休暇制度の趣旨としては、労働力の維持培養を図るとともに、労働者に人たるに値する生活を得しめんとするにあり、その本質的趣旨からいつて労働者が有給休暇をどのように利用するとも、原則として自由であると判示している。この判示部分は原則として正しい。有給休暇制度は決して労働者をよりよく働かせるための、労働力再生産のための恩恵的制度ではない。

ところが原判決は、有給休暇を争議行為に利用できるかとの設問に対しては、有給休暇は、労使間に労務の供給、対価としての賃金の支払を根幹とする正常な労使関係を前提とするものであり、ストライキは一時これを破るものであるから両者は両立しないといつている。

ここに基本的な誤解の第一がある。

有給休暇制度は、労働者に有給で休暇を認める制度であるから。その直接的な関係においては、使用者の利益と合致しない。現にこの制度の歴史的経過をみれば、常に使用者側からの強い反対、妨害があつた。

しかしそれにもかかわらず、この制度が広く世界的に認められ(ILO有給休暇制度に関する国際条約)、わが国においても認められている所以は、労働者を単なる労働力としてみることなく、憲法二五条にいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の具体的な方法の一として観念されているからに他ならない。

それだからこそ、その休暇は、労働者によつて完全に自由に利用されねばならないのであり、使用者からの干渉は排除されねばならない。休暇利用自由の原則は、休暇制度を認めても社会的、経済的に劣位にある労働者に対し、優位にある使用者がこれに干渉し制限することのあつた歴史的事実に鑑み、本来の目的を充分遂げないおそれのあつたことから、少なくとも休憩、休暇、休日の間は、有給であれ無給であれ労働者を使用者のコントロールから解放するために確立された原則なのである。

しかしこの制度は、それ自体使用者の支配する作業体制と矛盾し易い面をもつている。すなわち有給休暇制度を認める以上労働者が一斉に休暇をとつたり、使用者がその労働を最も必要とする時に、当該労働者が休暇をとつたりする可能性は常に存在している。けれども他面、使用者の指揮に従つて休暇をとるのでは、この制度の本来の趣旨に合致しない。

このように、両立し難い要請を有給休暇は本来的に内在しているのであるが、そのための調整として労基法三九条三項において、使用者に時季変更権を認め、「事業の正常な運営」とのバランスをはかつたのである。

なおこの際「事業の正常な運営」という場合の「事業」とは「事業所」を指すのであり、使用者の経営する全業務をさすのではない。

このように解すべきことについて、東京高裁昭和三五年九月二一日判決(労働法律旬報別冊三九九号)によつても示されているのであつて、同高裁は、裁判所職員の休暇に関する規程第一項の「事務に支障ある場合」とは、「単純に当該裁判所職員が裁判所において課せられている日常の事務の遂行に支障を生ずる場合を意味するものであつて、原審の判示するように『休暇申請に承認を与えることにより他の職員に影響を与え、ひいては裁判所全体の秩序ある運営をそこなう場合』にまで拡張して解することは相当でない」旨判示しているのである。

労基法三九条第三項の趣旨を、ことさら右判示と区別して適用すべき何らの合理性なきことは言を俟たない。(この点について、秋田成就「年次有給休暇の法的性質」季刊労働法第六一号七五頁参照)

ところで、有給休暇と争議行為との関係もまさにこのような「事業の正常な運営」の問題であり、それ以外のものではない。

原判決は抽象的に、有給休暇は「正常な労使関係」を前提とするが、ストはこれを破るものだから両立しないという。しかし、前述のように、そもそも有給休暇制度そのものの中に「休暇利用自由の原則」と「事業の正常運営」との間に対立する面が存するのであり、そのための調整制度として「時季変更権」が存しているのである。

しかるに原判決は、のこ「時季変更権」の機能を全く無視し、前述のような結論を引出しているのであつて、この点は制度の本質を見誤つたものといわざるをえない。

すなわち「時季変更権」によつて、いわゆる争議行為との矛盾は調整されうるのである。争議行為とは使用者の意に反する集団的な労務放棄であり、結果として業務の正常な運営を阻害する行為である。

ところで、有給休暇を争議行為として「利用」する限りにおいては、使用者は事業の正常な運営を確保すべく時季変更権を行使すればよく、かかる使用者の適法な権利行使を阻害したり、あるいはこれを無視して欠勤すれば、勿論これは争議行為そのものであり、有給休暇ではないから使用者は賃金の支払をする必要はない。

(なお、このような場合にのみ始めてノーワークノーペイの原則が働くのであり、適法に有給休暇の請求が行なわれ、かつ時季変更権の行使が行なわれない場合には、かかる原則は全く問題になる余地がないことは、上告人らが初審以来主張してきた通りである。)

そしていわゆる一斉休暇闘争等は概ねこの範疇に属する。

即ち、このような戦術は、そもそも使用者の時季変更権を無視し、請求によつて当然休暇は与えられるとし、一方的に職務を放棄するのであつて、公務員等が行つている各地における休暇戦術とは概ねこのようなものである。

そこでは何よりも、有給休暇をとつて職場を離脱すること自体が争議行為とつているのであり、休暇利用の方法の問題は生じない。

このことを明言したものに、大阪地裁昭和三九年三月三〇日判決がある。(判例時報第三八五号参照)

同判決は、第四、(一)(1)において

「ところで、およそ休暇は使用者が労働者の労力を支配していることを前提とするものであるに反し、同盟罷業は集団的に労働力を引き上げ、使用者の労働力に対する支配を一時的に排除することを本質とするものであつて、休暇と同盟罷業とは本質上相いれない性質をもつものといわなければならない。しかしながら、年次有給休暇請求権が権利として確立されている以上労働者が有給休暇をどのように利用しようと自由であつて、使用者は労働者に如何なる目的に有給休暇を使用するかを陳述させたり、目的の如何によつて休暇を与えることを拒否したりすることはできない。

そうだとすると、たとえ労働者が争議目的をもつて有給休暇の請求をなしたとしても、それが労働基準法に基づく年次有給休暇請求権の行使としてなされ、かつ権利の濫用にわたり、就労義務消滅の効果を生じない場合でないならば、使用者はこれに対して時季変更権を行使し得るにすぎない。」

とはつきり判示しているのである。

しかし本件は全然そうではない。第一審の認定事実によれば原告らは、あらかじめ郡山工場の管理者に対し、昭和三七年三月三一日の半日又は一日の有給休暇の請求をして、有効な承認を得ている。(形成権説によれば法律上の効果としては承認を要しないが本件では、何れも承認されているのである。)

事業所たる郡山工場の管理者は、上告人らの右有給休暇申出について、それらは「事業の正常な運営を妨げない」として、時季変更権を行使しなかつた。又現実に上告人等の勤務する事業所たる郡山工業に於いて、何ら事業の正常な運営は害されなかつた。

以上の事実は当事者間に争いはない。

つまり労基法第三九条が許容する使用者の権利と、その支配する領域において何らの権利侵害も行なわれていないのである。

このように使用者の時季変更権の行使が阻害、ないし無視されておらない以上、有給休暇の目的や利用内容によつて、有給休暇の承認を取消すとか、その成立を否定するとかいう理由は全く存しない。

二、休日、休憩時間利用自由の原則とその例外を認めることの不当性

原判決は理由二において

上告人らは岩沼駅を拠点とした時限ストに参加した旨認定し、これをもつて「有給休暇の趣旨に違反してこれを違法な争議行為に使用したものというべく」と評価している。

しかし、このような評価は全く本件事案を無視した独断である。これは後の法律判断に影響する重要なところであるから原判決の誤りを指摘する。

上告人らは、その勤務時間内に自己の職務を放棄して、岩沼駅での斗争に参加したものではない。又、有給休暇をとることによつて、その所属する事業所である郡山工場の事業の正常な運営を阻害しようとしたものでもない。郡山工場の事業が上告人らの有給休暇請求ならびにその行使によつて何らの影響をうけなかつたことは、本件において争いのない事実である。

すなわち上告人らの勤務時間は平日の午前八時三〇分より午後五時までであるところ、上告人らは何れも昭和三七年三月三〇日被上告人郡山工場の管理者に翌三一日の半日又は全日の有給休暇の請求をし、その承認を得た。そして三〇日の勤務終了後、上告人らの勤務時間外に岩沼駅で行なわれた(即ち三月三一日の午前三時頃より午前五時頃までの間)国鉄労組仙台地方本部の斗争の応援者として参加したのである。つまり上告人らは、自己の職場における労働義務を放棄したものではなく、又争議行為の手段として有給休暇を使用したものでもなく、自己の勤務時間外に他の箇所で行われた斗争の支援に赴いたのである。上告人らの多くは三月三一日午前九時一八分頃郡山に帰着しているが、休暇の目的ないしその現実の利用方法は、第一審における原告の準備書面(昭和三八年八月二八日付)別表記載のとおりであつて、被上告人もその事実を争つていないのである。その帰途の一部にかかつたからといつて、これをもつて有給休暇を争議行為に使用したというのでは、休日、休憩時間利用自由の原則が侵害される結果となる。

現に第一審判決は、三一日の有給休暇のうち午前半日は争議行為に利用したものとし、午後半日はそうでないから休暇を否定できないという甚だ割切れない判断を示している。これも右のように「争議行為に使用」という概念を曖昧に拡大して考える結果なのであつて、原判決の論理は非常に明確性を欠いている。つまりこのような思考法をとれば「休日、休憩時間利用自由の原則」の意義は失われるであろう。

例えば、有給休暇をとつて組合大会に出席し、ストライキの討論、決議に加わつたらどうなるのか。休暇中にストライキの必要性を説いて職場を廻つたらどうか。或いは他の公企体又は民間の争議の応援に赴いた場合はどうか。

「争議行為に使用した」という概念を原判決の如く漠然と広げるならば、結局は、使用者が休暇の使用内容まで介入することとなる。原判決は一方では「有給休暇をどのように使用するとも原則として労働者の自由である」としながら、他方争議行為に“使用”する目的の場合は例外であるとし、しかもその概念を広く本件の如き場合まで及ぼしているのであつて、かくては使用者がその利用目的を問い正したり、理由を附させたりすることを容認することになる。

つまり、利用目的如何によつて使用者が有給休暇の承認をしなかつたり、それを取消したりできるという説と同一の結果を招来する。例えば使用者が労働者に対して、争議行為に行くのか、いつ行くか、いつ帰えるか、疲労回復というが争議行為のための疲労ではないか、争議行為の相談に行くのではないか等と問い正すことは、有給休暇の承認ないし取消しのために許されるということになろう。

このように「休日、休憩時間利用自由の原則」に重大な「例外」を認めるなら、それ自体この原則の否定する通ずるのである。

その上前述のように「争議行為に利用する目的」とは曖昧漠然たる概念であつて、どのようにも伸縮自在であり、このような概念の下に使用者が労働者の生活に干渉することは、有給休暇制度の本質と相容れない。

使用者が時季更更権を行使せず、一旦承認した以上有給休暇はあまで「休暇」なのである。有給なる故に他と異る利用方法の規制をうけるべきものではない。

もし労働者が休日、休憩時間を利用して別の職場の争議の応援に行つたらどうなるのか。それを理由に賃金カットをしたり、休日、休憩時間を否定するなどということができないのは当然であろう。本件はそれと全く同じなのである。

このことは、まさに仙台高裁昭和四一年五月一八日判決の正当に指摘するところであつて、同判決は次の如く判示している。

「就労から開放される有給休暇日において、労働者がこれを如何なる用途に利用するかは、一般の休日と同様に、もとより労働者の自由であると言うべく、労働者としては有給休暇の請求に際しては単に休暇となるべき日を指定さえすればそれで十分であつて、休暇利用の方法用途まで一々申出る必要はない、と解されるのであるから、このような休暇の利用目的如何によつて、有給休暇の請求自体が本来認められている範囲を逸脱しているとか、逸脱していないとか言うのは当らないのである。労基法第三九条第三項但書の事由による使用者の拒否がない限り、労働者は何時でも自己の希望する時期に休憩となるべき日を指定して就労から開放され、その休暇日を自らの責任において自由に利用することができる。これが労働者の権利として労基法の保障するところである。

従つて控訴人(使用者)は被控訴人(労働者)の本件有給休暇を請求した真の目的は違法な大衆交渉に参加し、その斗争を支援することにあつたと主張するけれども、譬えそうだとしてもそれは労基法の定める有給休暇請求権の行使とは、次元を異にする休暇の使用目的という別異の事項について、被控訴人(労働者)がその責任で決定したまでのものというべく、有給休暇請求権の行使としてはなお依然として法によつて与えられた正当な権利行使の範囲内にあると認むべきものである。」(これを支持するものに外尾健一東北大教授、月刊労働問題第一〇〇号、一〇四頁以降、安屋和人関西学院大教授、判例時報第四五六号一一九頁以降、秋田、前掲書七五頁以降)

又、国家公務員についても有給休暇をとつて、他職場の時間内職場大会に参加した場合の休暇承認の効力につき、人事院(佐藤達夫、神田五雄、佐藤正典)昭和三八年一一月四日の判決は「国家公務員の有給休暇の申請については、原則として公務の繁閑をはかつて承認、不承認を決定すべきものであり、年次有給休暇の理由は、通常の場合承認、不承認の基準とすべきものではなく、税務職員が勤務時間内職場大会に参加したことも懲戒の対象として問責されるかどうかは格別、休暇承認取消しの事由にはならない。旨判示し、以後全国家公務員の有給休暇については、この判定に従つて処理がなされている。公務員の場合と、本件とを異つて考える何らの合理的根拠もない。

労働者に「休日、休憩時間利用自由の原則」があり、使用者は「事業の正常な運営」をする権利がある。この両者を調整するための制度が使用者の「時季変更権」なので、本件の如く、上告人らが通常の手続によつて休暇の申出をし、被上告人において事業の正常な運営に支障なしとしてこれを承認し、時季変更権を行使しなかつた以上、その後は「休日、休憩時間利用自由の原則」が完全に支配する次元なのである。従つて、その自由利用の内容の、不当、違法、合法は有給休暇とは別の面で評価し、その法律効果が与えられるべきものであつてこれを遡及して有給休暇の承認の効力だとか、その成否と結びつけて考えるべきものではない。

三、有給休暇の使用目的ないし、使用内容の違法は、有給休暇の否定となりうるか

原判決が理由二において、上告人が公労法違反の争議行為に参加したことをもつて有給休暇の成立を否定する根拠としていることは、まさに次元の混交である。

もし、有給休暇中に違法な行為をしたとか、それに利用したとかいうのであれば、そのことによつて懲戒等の法律効果が生ずることがあるのは格別、休暇そのものを否定することはできない。

既に最高裁判所大法廷昭和四一年一〇月二六日判決の判示するように、公労法上の違法性と可罰的違法性は観点を異にする問題である。そして松田裁判官、岩田裁判官の補足意見がはつきり説示しているように「同じ民事法の範囲内においてすら、法規違反の行為とされるものの中にも、その効力が否定されて無効となるものと、しからざるものとがあり、また行為を無効ならしめる場合の違法性と不法行為の要件としての行為の違法性とは、反社会性の程度において必ずしも同一ではありえない」のである。

本件における問題は、有給休暇の効力の問題であつて、上告人らの岩沼駅における行為(しかも勤務時間外の!)の当否の問題ではない。そして原判決すら冒頭に判示しているように、有給休暇は本来その目的如何、利用方法如何が問題とされるべき性質のものではないのである。然りとすれば、その目的や利用方法の問題は前掲仙台高裁判決や人事院判定のいうように、別の次元においてその違法合法並びにその法律効果を検討すれば足りるのであつて、たまたまその利用方法が違法であるとしても、有給休暇の成否に何ら影響はないのである。

以上の諸点よりして、原判決ならびに第一審判決(上告人勝訴の部分の除く)は破棄されるべきである。  以上

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